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 【制作インタヴュー:五感について ⑤視覚】

早いもので、2020年も残り僅かとなりました。

五感をテーマにした制作インタヴューも今回が最終回です。

第5回目は「視覚」についてお送りします。

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「視覚」についてのお話しを伺う前に、ちょうど先日Farmoonで開催されていた個展「Ethereal Beings」が終了しましたので、この個展で得た経験や印象に残ったことがあればお聞かせください。

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TH: 毎日が刺激と発見でいっぱいで、とにかく楽しかったです。

船越雅代さんの創作を間近で体験し、彼女の料理を実際に食することや食材に触れさせてもらうという貴重な体験、そしてFarmoonで起こる数々の美しい出来事や体験に触発されながら、食材の断片から生まれる色を布に移す行為や起きた出来事の音や訪れた人との対話を記録する行為など、そのこぼれ落ちてしまうような美しい記憶の断片を拾い集め結晶化することで作り上げていった展示だったように思います。

またそのプロセスを経て展覧会を開催し、雅代さんと一緒に互いの創造に呼応する食と美術を横断するイベントが開催できたことはこの上ない喜びでした。彼女が展覧会に捧げて作ってくださったお料理を鑑賞者の皆さんと一緒に食することで得た共振は一生忘れられない体験となりました。

雅代さんを始め、Farmoonのスタッフ及び展覧会にご協力いただいた皆さま、そしてお越しいただいた方々とのご縁とご縁が重なりあって拡がり、実現できた展示だと感じました。本当にありがとうございました。

今回の経験は必ず来春の瑞雲庵での展覧会に生かされると確信していますし、その様に励みたいと思います。

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①制作インタヴューの最終回に「視覚」をもってきたのは、現在の私たちの生活では、視覚に拠っている割合が非常に高いように感じていることもあり(一方、多様なチェレンジドの方々が快適に生活できるよう様々な工夫や開発が行われていることも事実であり重要なことです)、それぞれ他の感覚がもつ特性や視覚に拠らなくとも感じることができる様々な現象について光をあてたいという想いがありました。

林さんは様々な感覚を大切に制作をされてきましたが、林さんにとって「視覚」「見ること」とは、どのような感覚でどのように捉えているのでしょうか。

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TH: 私の作品は視覚芸術といえども、芦田さんがおっしゃるように視覚に拠っている現代だからこそ、他の感覚の解放や記憶を喚起するための引き金として「視覚」を利用することが多かったように思います。そのため視覚的には要素の多い作品は少なく、感情や一瞬一瞬生まれては消えていく儚いものの気配や余韻などを表す希薄な色彩や光、そしてその光の反射などで表現することが多かったように思います。

ここ数年は特に光と自然物、光とものとの戯れによって生まれる現象や色彩などに魅了されることが多く、見るという行為の一番の悦楽として、四季のあるこの日本で、日々刻々と変化する光やその光に照らされた自然物を見てきたように思います。

また見るということには、物理的に見るという行為以外にも心の目で観るということがありますが、京都に戻り大乗仏教の華厳教について興味を持ったことにより、より一層「観照」を試みることが増えたように思います。

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②林さんの記憶に残っている印象的なシーン(情景)があれば、教えてください。

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TH: ここ数年でいうと展覧会のタイトルにも出てくる「虹」です。

朝5時ごろに目が覚めて風で倒されたベランダの植物を起こしに行った際、ふと顔をあげると頭上に大きな優しい光の虹がかかっていたことがあり、その時は虹に包まれて溶け入っていく感覚になりました。また祖父が住んでいた上賀茂の地震観測所から見える深泥池を訪れた際、大きな日暈が頭上に浮かび上がっていた時も思わず涙が出たのを覚えています。

昔の人が虹を見て、何かの予兆だと考えたり神や魔物の顕現だと考えたのには納得がいきます。

虹の原理がわかっている今でさえ、止まずに降り続ける雨がプリズムとなって光が分散し色が生まれるとう事実と、偶然見えた時の驚き、そしてとそのスケールにより身体性を通して感受する感覚には魅了されてしまいます。

私は、幼いころ砂漠地帯で体験した時のように、人間のスケールを超える景色に出逢い、自分がその中のほんの一部であると感じれた時なによりも喜びを感じます。それはただ目で画面を通してヴァーチャルに見るのとは違い、目を含めた身体全体を通して見る、世界を感受している、ということなのだと思います。

また肉眼で見る景色以外にも顕微鏡や望遠鏡などの鏡とレンズを使った光学機器で見る世界にも大変興味があります。石の断片を偏光顕微鏡でみたり、家のベランダから幼いころ使っていた望遠鏡で月をみたり。極小から極大まで、触れることのできない遠い遠い世界を物理的にレンズを通る光で感じられることは時空を超えるような特別な感覚を呼び覚ましてくれます。

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③Farmoonでの展示では、ウラン硝子を用いたインスタレーションの作品がありました。ウラン硝子はそれ自身で発光するため、夕暮れ時から徐々に浮かびあがるウラン硝子が神秘的な存在感を表していました。林さんの作品では、光が印象的に使われており、鏡に反射する光を用いたものもあります。光や鏡は、神的なものの象徴ともされ、眼を閉じていても瞼に浮かび上がってくるものでもあります。林さんは、ご自身の作品のなかで光や鏡をどのように使われているのでしょうか。

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TH: 幼い頃に体験した、アメリカの標高の高く酸素の薄い砂漠地帯の空の色や光、20代後半を過ごしスコットランドの光の少ない世界は私に「光」への切望や憧憬を与えてくれているように思います。

30歳を機に日本に戻った時、真冬にも関わらず晴れの日が多く非常に感激し救われた気持ちになったことを覚えています。四季のある日本の光は常に変化し飽きることのない繊細で優しい光です。

現在住んでいる家は空が近い部屋なのですが、夜明けと夕暮れの光と色彩に毎日のように心動かされています。光そのものだけではなく、その光が様々なものと出会って生まれる作用に魅了されているように思います。

太古より世界中で光が神的なもの、もしくは仏とは光そのもであるとされてきたのには心から納得がいきますし、それを受けて耀く鏡を神の依代としたり、華厳経の海印三昧のように森羅万象、または人の心を映すものとしたことには大変興味をそそられ作品にも鏡を使用してきたように思います

MITの方々との協働により制作した遠距離恋愛のためのコミュニケーション媒体《Mutsugoto》(2004-)では、遠く離れた存在の意識や魂の表れとして揺れる光の玉を使用しました。《Tear Mirror》(2011-)では涙を結晶化した透明で淡い色を纏った砂糖菓子を鏡の上に乗せ、光を照らすことでその涙の持ち主の繊細な心象を表現することを試みました。亡き祖父の軌跡を辿って制作した《Distance - aether》(2015)の鉱石ラジオや絶滅に瀕した花を使用した作品、《暗香透影》(2019)でも鏡を使用したのですが、どちらも古の人々が鏡に持っていた、魂が還ってゆく天上の故郷や我々が生きている世界とは異次元の世界との境界線や通路であるいうイメージを着想源に、現世を反転して写す鏡を使用しました。

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④林さんの作品のなかで、具体的なイメージが取り込まれるようになったのは、「聴覚」のパートでも触れた2015年の熊本市現代美術館の「Stance or Distance?」展の《Distance - grandfather》(2015)での作品のように感じています。あの頃から、自身で撮られた写真を作品表現に取り込まれたように思います。写真はまさしく、そこにあったモノ・コトが表れる視覚的メディアですが、写真を撮ることをどのように捉えていますか。あるいは、写真を撮り始めたことで、作品制作や表現において何か変化は生まれたでしょうか。

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TH: 昔から写真には興味がありましたが、祖父の1930年代~1950年代の美しい白黒写真を改めて見るようになってから自分でも撮ってみたいと感じました。

《Distance - grandfather》の作品は祖父の阿蘇での足跡をたどって作品を作らせていただいたので、技術的なことは考えず心に触れたところでシャッターを切り、祖父の体験を追体験をする中で起きた心象を表すことができればと考えその頃から少しずつ実家にあった古いCanonのフィルムカメラで撮影するようになりました。世界を切り取るファインダー越しに世界を見る行為によって、確かに世界の見え方が変わった様に思います。またフィルムカメラで撮影し、実際に白黒とカラーの両方の現像をさせてもらう機会があったのですが、やはり光画とかつて呼ばれていたように「光」(もちろん影も)を意識するきっかけになったと思います。

比叡山に近い家に越して来て日課となった朝の逍遥で撮影することを通して、普段は気にもしない場所に太陽の光があたった時の美しさに目を奪われるようになりました。

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最後に、今年1年について振り返られればと思います。

コロナ禍によって、私たちの価値観や生活は根本的に大きな変化を迎えました。林さんは、これまで人と人との関係性によって生まれる親密さを起点に、身体性の回復と距離の超克について追究されてきました。京都に戻ってからは、さらに対象を広げ、自然との交感によって生まれる多様な関係性を手がかりに、自己の在り方について思索を深めていますが、コロナ禍のなかで私たちはある種、親密さを手放し、物理的な距離を取ることを促されてきました。

5月に「パンデミックとアート」と題して、林さんにインタヴューを行った時に「今回の与えられた時間で余計に繊細な自然現象や人の心の機微へ心を向けられているようには思います。」と答えられていましたが、今年1年は林さんにとって、どのような年だったでしょうか。

あのインタヴュー後に、第二波、第三波が起きましたが、もし5月のインタヴューから心理的な変化があれば、それも伺えればと思います。

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TH: そうですね。コロナは物理的な距離を生み出しましたが、一部の人にとっては心理的な親密さはより深みを増したのではないでしょうか。人間は全ての人や生物に共通する「死」を意識して初めてこの世界に共に存在することの奇跡を感じることが出来ますし、限られた外出時間や行動範囲の中で本当に会いたい人は誰なのか、この危険の中で守りたい人は誰なのかを意識する機会になったのではないでしょうか。

勿論、現在の世界の状況を見ていると想像を絶する数の人々の命がこの瞬間にも奪われていることに恐怖と悲しみを感じずにはいられませんし、多大な影響を受け今日明日の生活に苦しんでいる方々が沢山いることは、全くもって他人事ではなく、自分や身近な人々への影響はもう既に起きてきています。

しかし現時点の日本において、私自身は、今年このパンデミックが起きたからこそ、いま、ここで出逢えた方々や起きた出来事も多くあったこともあり、決して悪いことばかりではありませんでした。

現在の社会システムの中で以前と変わらずに生きようと思うと、辛いことばかりだったかもしれませんが、視点を変えてこの世界を改めて見つめ、我々人間を含む自然の摂理に合わせて生きようとした時、以前よりも自由になれることも少しはあるように思います。形骸化したシステムや社会通念を見直し、互いに協力しながら人が人らしくあれる尊厳を見出していく時期に来ているように思います。アートは少しでもそのことを意識できる媒体であってほしいですし、私自身そのような表現者でありたいと感じました。

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「五感」をテーマに5回にわたり、林さんに制作インタヴューを行ってきました。

インタヴューでは、林さんのこれまでの作品を通して、制作コンセプトや世界の在り様に対する捉え方、またアーティストとしての生き方について深く考えを聞くことができる機会となりました。

インタヴューを読んでくださった皆さんが、林さんの世界観を知り、ここでのお話しが来春の展覧会へとどうつながっていくのか想像を膨らませる芽となりましたら、大変嬉しいです。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました!

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